夢は生食用トマトの海外展開

野菜ソムリエサミットで日本一「金筋トマト」

日本一の米どころ・新潟県に、トマト一筋50年の㈱曽我農園がある。同社のある新潟市北区は、県を代表するトマト産地として注目を集めるエリアで、その知名度を引き上げているブランドトマトの一つに「曽我農園の金筋(きんすじ)トマト」を挙げる人も多い。

金筋トマトは、お尻の部分から放射状にくっきり出るスターマークが金色の筋に見えることから、3代目の曽我新一社長が命名。水耕栽培が主流となる現代でも、先代の技術をしっかり受け継ぎ、土耕で糖酸バランスにこだわって栽培する高糖度トマトだ。

日本野菜ソムリエ協会主催の「野菜ソムリエサミット」において、2012年に「食味評価」「購入評価」の2部門で日本一に輝き、全国にその名を広めている。

トマトの土耕栽培は天候に左右されやすく、なかなか計画通りには行かない。「メディアに取り上げていただく機会が増え、全国から金筋トマトを求めるお客様が新潟に来られるようになりましたが、満足できる味を提供できるのか、毎年不安です」と話す新一社長。その横で、頷きながらクスっと笑う奥様の千秋さんが、今回のアグリガールズの主人公である。

農家の嫁から会社役員へ農業女子PJでも活躍

千秋さんは一冊の本をきっかけに新一社長に出会った。

新一さんは地元紙でコラムを連載するなど、多彩な才能の持ち主で、苦労の絶えない農業生活の経験を”ファーマーズハイ”と呼んでブログに綴っていたところ、出版社から声がかかり、本を出す機会に恵まれた。その本を読んで取材に訪れたのが、当時マスコミのディレクターを務めていた千秋さんだ。学生時代に農業を学んだ千秋さんは、マスメディアから農業の魅力を伝える機会を待ち望んでいた。そこに現れた新一社長の情熱に触れ、

「この人なら農業で一生食べていける」と、未来の姿を想像できたという。その1年後の09年に二人は結婚した。

結婚当初は”農家の嫁”という意識が強かったが、12年の法人化を機に、曽我農園の役員として経営全体を任されるようになった。新一さんが安心してトマト作りに専念できるのも、千秋さんの存在があればこそだ。独特のコクを誇るトマトジュースや、オリジナルブランドトマト「恋玉」「蜜星」など、金筋トマトと並ぶ同社の看板商品を育て上げ、昨年は直売所もリニューアルした。

一方で千秋さんは農業女子プロジェクトのメンバーでもあり、新潟市で開催された昨年のG7農相会合では、女性が扱いやすいトラクターの説明を行った。また、経営者として障がい者雇用に取り組み、農福連帯も進めている。

千秋さんの果たす役割は、結婚を機に一変した。逆に、結婚当初と変わらないことを聞くと、「夫婦の仲です。ケンカをすることもありますが、いつも同じ方向を見ています」と、凛とした表情で話す千秋さん。その言葉にあった「未来」は、間違いなく「美味しいトマトの向こう側」にあると感じた。

フランスの三ツ星シェフにトマトジュースを納めたい

新一さんは大学卒業後、農業研修生としてアメリカで1年、JICA(独立行政法人国際協力機構)の青年海外協力隊員としてコートジボワールとセネガルで3年を過ごした。

コートジボワールでは赴任中に起きた内戦下で軟禁状態となり、フランス軍に助けられた経験もある。それを聞き、千秋さんは「これほど生命力の強い人なら何があっても大丈夫」と、共に歩むことを決意したと微笑む。

JICAの任期後はフランスへ渡り、オリーブ栽培やヤギの飼育を営む農家に住み込みで働いた。合計4年を過ごした海外で見えたのはトマトの可能性だ。トマトは海外では加熱して食べるのが普通で、生食はほとんどしない。当然、加熱に適した品種の栽培が主流で、生食用の品種自体が珍しい。「まだ世界にマーケットがない生のトマトなら、自分たちにも可能性がある」。3代目の新たな情熱ストーリーが始まった。

海外展開に向け、昨年からドイツとオランダのミシュランシェフとコンタクトを取り、トマトジュースを提案中。夢はフランスの三ツ星レストランに金筋トマトのジュースを納めることだ。新一社長の夢が叶う瞬間を傍で見届けることが、千秋さんの夢だという。二人が目指す「美味しいトマトの向こう側」へ、私たちが案内してもらえる日もそう遠くはないと感じる。

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